なぜ、今、日本でDXが議論されるのか 〜 注40

公開: 2021年4月30日

更新: 2021年5月25日

注40. 軍部の台頭

1941年、近衛文麿が首相を務めていた第3次近衛内閣は、ソビエト連邦のスバイとして日本に潜入していたリヒャルト・ゾルゲなどの外国人が関わったゾルゲ事件に、内閣嘱託の尾崎秀実や西園寺公一も関わっていたとして検挙されたため、その任命責任をとり、総辞職した。

この近衛内閣総辞職を受けて、元老西園寺公望の推薦によって、天皇から次期総理大臣に任命されたのが、近衛内閣の陸軍大臣を務めていた東条英機であった。東条は、それ以前から対米戦争も辞さないと言う考えを持っていたが、その後、対米戦争の宣戦布告を決定し、日本が第2次世界大戦へと突入してゆくきっかけを作った。西園寺は、対米交戦派であった東条を、あえて首相に任命することで、対米交渉に対して柔軟な姿勢を見せるではないかと考えたようである。

また、東条は近衛内閣の陸軍大臣として、1941年1月、陸軍省が制定した戦陣訓を発表した。この戦陣訓の作成に当たっては、作家、島崎藤村らも参加していたことが知られている。「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う一説は有名で、第2次世界大戦中、特に対米戦争において、劣勢に立たされた日本軍部隊が、降伏の道を選ばず、全員で敵軍に向かって突撃する「玉砕」の道を選択した原因になったと言われている。

この捕虜にならないと言う戦う兵士としての覚悟は、武士の時代にもあったものであるが、戦陣訓によって、第2次世界大戦の終盤になると、日本軍兵士だけに止まらず、沖縄戦における一般市民にも、投降せずに「自殺」を選ぶと言う間違った慣習を作ってしまった。

参考になる読み物